桃太郎神社や関ケ原ウォーランドなどを初めとして、シュールなコンクリート像を東海地方に作り続けた、珍スポットファンで知らない人はいないほど有名な浅野祥雲。
名古屋市内で製作活動をしていたことはよく知られていますが、正確な邸宅位置はGoogleで検索しても特定することは困難です。(2022.7.16現在)
しかし、筆者は断片的に得た情報を繋ぎ合わせ、ついに名古屋市にある祥雲の旧邸宅を訪問することに成功しました。
今回はその旧浅野祥雲宅を訪問した際の話をしようと思います。
祥雲先生が住んでいた家がまだ残っているのですか!?
実は名古屋市内にまだ残っているのよ。
しかもその家には祥雲先生のコンクリート像まで立ってね。
街中に存在する旧自宅
筆者は名古屋市内に3年間居住していたことがありましたが、当時浅野祥雲の家がどこにあるのか見つけることはできませんでした。
珍スポットの名著「東海珍名所九十九ヶ所巡り」(大竹敏之著 デイズ/中部経済新聞社刊)や、浅野祥雲研究書「コンクリート魂 浅野祥雲大全」(大竹敏之著 青月社刊)などの紙媒体には、浅野祥雲の旧自宅が名古屋市にあると記載されているものの、現在は別の方が住む家であるため、詳細な住所などについては記載されていないのです。
またGoogleMapを初め、インターネット検索で「浅野祥雲 自宅」などと検索してみても具体的な場所については検出できないようです。(2022.7.16現在)
今回決死の努力で浅野祥雲の邸宅の場所を突き止めることができましたが、それは目立つような案内もなく、幹線道路から少し離れた閑静な住宅街の中にひっそりと存在しています。
上記の写真、選挙ポスター・看板などがある一見何の変哲のない通りのように見えます。
筆者が名古屋にいたときは、何の違和感も感じずにこの通りを散歩することがよくありました。
しかし今回意識してよく見てみると、向こうの家に何か人影のようなものが見えているのです。
迂回してその家に近づいてみると、入口付近に何やら勇ましい姿で立ち望んでいる人影があります。
∑(๑ºдº๑)!!
さらに近づくと、人影はコンクリート像であったことがわかります。
そう、この場所こそ浅野祥雲が生涯コンクリート像の製作を続けた旧邸宅なのです!
そして家の入り口付近に立っているこの像は、浅野祥雲が信仰していて、作品のモチーフにもたびたび使用された猿田彦大神です。
祥雲による猿田彦大神の作品は、他にも愛知県の岩崎御嶽社や岐阜県の聖公園で見ることができますが、こちらの旧自宅前に立つものは、まるで勇ましい姿で家を守る番人といった印象を受けました。
そして祥雲によるコンクリート像は、家屋後方にもう一体存在します。
こちらは波打つ雲の上に立つ屋敷神の荒神。そしてその下には「荒神社」というの文字。
現在は神社の中の様子を窺うことはできませんが、かつては塀もなかったため、通りから神社の中を見ることができたそうです。
神社の中の様子は、「コンクリート魂 浅野祥雲大全」(前掲書)にカラーの写真が掲載されておりますので、興味のある方はぜひ見てみください。
かつて何度も近くを散歩していた場所に、このように浅野祥雲の旧邸宅があったとは驚きでした。
人間、目に映るすべてのものを認識しているわけではないといういい例ですね。
写真を撮っているのは自分だけだったため、不審者と間違われないよう、必要最小限の調査を済ませて早々と立ち去りました(笑)
浅野祥雲が活躍していた旧自宅ということで、珍スポットファンの筆者としては大変なロマンを感じるところでした。
- 浅野祥雲が住んでいた家は名古屋市内某所にある。現在は別の方が居住。
- 家のそばには祥雲により製作された猿田彦大神、荒神の2体のコンクリート像が立つ。
- 現在は荒神神社の中を見ることができないが、書籍等で確認可能。
私も祥雲先生の家を探すのに苦労したわ。まさかあんな場所にあるなんてね。
訪問日:2021年12月11日
詳細情報
浅野祥雲が住んでいた家は現在別の方が居住しているため、詳細な場所などについては当サイトでも非公開とさせてくださいm(_ _)m
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愛知県名古屋市には、他にもこのような珍スポットがあるわね。
関連文献
浅野祥雲先生のことをもっと知りたいなら、下記の図書がおすすめね。
『コンクリート魂』を解説しているレビュー記事はこちらです↓↓
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