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五色園‐浅野祥雲3大聖地にして日本唯一の宗教公園の実力とは!?(愛知県日進市)

東海地方にシュールなコンクリート像を制作し続けた浅野祥雲。その作品は東海各地に散在していますが、その中でも数・質ともに有名な場所は3つあり、浅野祥雲3大聖地とも呼ばれています。

その3大聖地とは、これまでこのブログでも紹介してきた愛知県犬山市の桃太郎神社、岐阜県不破郡の関ケ原ウォーランド、そして今回この記事で紹介する五色園とされています。

果たして3大聖地の1つである五色園ではどのような非日常的光景と巡り合うことができるのか。実際の訪問時の状況について報告します。

52記事目にしてようやく五色園の紹介だよ、まったく。

あなたは本当に自分では行動しないくせに人の批判は得意なのね。
実際にブログを書いている人からしたら、五色園を紹介することがいかに困難な仕事かみんなわかってるわ。
そうやって批判ばかりしているあなたは何物にもなれず、ただのおじさんと化すのよ。

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目次

いざ、五色園へ

五色園に到着

今回紹介する珍スポット・五色園は、愛知県日進市にあります。

名古屋に在住していたときに一度訪問したことはありましたが本日は2回目。浜松の自宅から東名高速道路を経由し、名古屋瀬戸高速道路の長久手ICで下道へ降り、目的地へと向かいます。

無事に懐かしの五色園に到着ということで愛車とともに記念撮影。秋ということもあり、絶好のツーリング日和です。

前回訪問した時は冬だったこともあり、大変寒く日が暮れるのも早いなどの事情により一部の作品しか見ることができませんでしたが、今回はすべての作品のコンプリートを目指します。

前回と同様、入口のゲートにはだれもいませんでした。高鳴る期待を胸に五色園内へとバイクを走らせます。

五色園とは?

五色園とは、昭和9年に初代管主の森夢幻が整備した、仏教をモチーフとする日本唯一の宗教公園です。

五色山大安寺という寺院を中心として、20万坪にも及ぶ広大な土地には、法然上人や親鸞聖人などの生涯や教えを視覚化して伝導するためのシュールなコンクリート像が立ち並んでいます。それは人よりも大きいもので、その数なんと約100体!

コンクリート像の製作者は珍スポファンの間では有名な浅野祥雲で、彼の作品が多くみられることから桃太郎神社、関ケ原ウォーランドと並んで浅野祥雲三大聖地の1つとされています。祥雲は名古屋の熱田にある自宅で制作したものをここまで運んだとか。

このため、五色園は信者の方はもちろん、多くのファンが訪問する珍スポットとなっています。

CHECK

愛知県日進市にある五色園は浅野祥雲三大聖地にして日本唯一の宗教公園。
法然上人や親鸞聖人の生涯や教えを視覚化し伝道することを目的とした、浅野祥雲による約100体ものシュールなコンクリート像が安置されていて、珍スポファンの間では有名。

珍スポファンなら五色園を知らないなんて口が裂けても言えないよね。

浅野祥雲のコンクリート像

月見の宴

入口のゲートから五色園に入ってまっすぐ進むと、まず最初に見えてくるのは、月見の宴というエピソード。

2歳の親鸞聖人が月見の宴でみなの前に出られて、拝みながら「なむあみだぶつ」と唱えられたとされる名場面。たくさんのコンクリート像が場を囲んでいます。

父君の膝の上で抱かれた幼き親鸞聖人のなんと可愛らしいこと。場を囲っているのは老若男女の平安貴族から僧侶まで様々です。

手前側の緑色の和服を着た女性は薄ら笑いを浮かべていてなんかちょっと怖い…

信行両座

進むと次に見えてくるのは、信行両座というエピソード。

親鸞聖人が法然上人のもとで、弥陀の本願を信じるだけで生涯信心を失わない不退転が得られる「信不退」という立場をとるか、本願を信じつつなお不退転を得るためには念仏を唱えなければならないとする「行不退」をとるか門弟たちに問います。
門弟たちの多くが行の座につく一方で、親鸞聖人や法然上人は信の座に着いたため、門弟たちは自らを恥じ後悔したという話。

走っている姿の躍動感あるコンクリート像は、遅れてやってきた熊谷蓮生房という僧侶が信の座に着くのを再現したもので、五色園の代表的なコンクリート像としてよく取り上げられます。

脱げている下駄まで再現しているなど、作りがかなり細かいですね。

信不退の座につく親鸞聖人たち。どことなく落ち着いた表情をしております。

それに対し、行不退の立場につく門弟たち。親鸞聖人たちの落ち着いた雰囲気とは対照的に、門弟たちは険しい表情をしているものが多いですね。

後ろのほうではうっすら笑いを浮かべている僧侶もいるものもいました。真剣な場面にも関わらずけしからんことです。

近くにあった立て看板。この信行両座のコンクリート像は2009年に補修塗り直されていて、他の園内の仏像含めて定期的塗り直していくということです。

赤山明神貴婦人邂逅

近くの小高い山を登ると見えてくるのが、赤山明神貴婦人邂逅というエピソード。

親鸞聖人が26歳のとき、京都からの帰りに比叡山の麓にある赤山禅院で念誦していると、陰から美しい女性が現れて自分も比叡山に参詣したいと懇願します。
それに対し親鸞聖人は、比叡山は女人禁制のため入山することができないと説得すると、その女性は「女性にも仏教の教えが得られるよう力になってほしい」と言って、白絹に包んだ闇夜を照らす玉を親鸞聖人に渡して消えてしまったということです。

女性はとてもミステリアスで美しい姿をしており、また親鸞聖人は26歳ということもあり、表情が大変若々しい造りとなっていますね。

身代わりの名号

また少し進んで別の小高い山を登ると見えてくるのが、身代わりの名号というエピソード。

常陸の国(茨城県)に住む暴力夫の平次郎が、妻のおすわが礼拝していた親鸞聖人による名号を、他の男からの手紙だと勘違いして妻を切り殺そうとしたところ、この名号が身代わりとなりおすわは助かります。そしてこの出来事に感化されて平次郎も行者となったということです。

ゆっくりと観察したかったのですが、大きな蜂のような虫が近くを浮遊しているのに気づき、驚き急いで逃げました。怖かった…

桜ヶ池大蛇入定の由来

近くの大きな池を周って反対側に行くと見えてくるのが、桜ヶ池大蛇入定の由来というエピソード。

自らが抱える諸問題を解決するために、弥勒菩薩のいる遠い未来まで生きることを望んだ阿門梨が遠州(静岡西部)の桜ヶ池に大蛇となって入定します。この話を聞いた門弟である法然聖人は大蛇となった師の阿門梨に他力本願の教えを説きましたが、阿門梨は今となってはもう遅いと嘆き、湖の底へ帰っていったということです。

法然聖人がかつての師の阿門梨を救うことができないという何とも悲しい話。湖を前にして相対するかつての師と弟子のコンクリート像からは、時の経過により異なる境遇となってしまった2人のやりきれなさが感じ取れるようです。

お田植

桜ヶ池大蛇入定の由来を見終わり北へ進むと見えてくるのが、お田植というエピソード。

常陸の国(茨城県)へ布教へ訪れていた親鸞聖人ですが、村人が聞法道場へ赴かず、念仏も唱えずに農作業を優先しているのを見て嘆きます。そこで親鸞聖人は村人とともに泥田に入り念仏を唱えながら農作業をしていると、村人も感化されて念仏を唄いながら作業をするようになったという話。

聖人という身分でありながら、特権階級として奢ることもなく、自ら低い身分の村人とともに汗水を流しながら農作業をして教説を説く。親鸞聖人のもつ御仏の慈悲は本物であることがわかるすばらしいエピソードですね。

親鸞聖人の表情などをもっと近づいて撮影したかったのですが、なんとコンクリート像がお田植をしている場所は本当に泥沼となっていました。御仏の志のない筆者は残念ながらコンクリート像と混ざって農作業する勇気もありません。残念…

不動明王尊

またお田植のすぐ近くに鎮座しているのは、人間を惑わす悪魔を退散してくださるという不動明王尊
こちらは親鸞聖人のエピソードというよりは、仏教において有名な仏さまを表現したものになります。

不動明王尊は小高い岩の上で炎を背後にしながら、2匹の童子とともに堂々とした姿で立っています。悪魔を退散する仏様ということもあり、その表情も大変厳めしい。

猿田彦や毘沙門天像などを浅野祥雲がコンクリート像のモチーフとしてよく用いたことは知られていますが、この不動明王尊も恵那の聖公園などいくつか作例があるようです。

縁結び弁財天女

こちらは先ほど見た桜ヶ池とは別の池にある縁結び弁財天女

近くの説明板は薄れて読めなくなっており、また公式HPにも説明がありませんでした。
おそらくこちらも親鸞聖人エピソードというよりは、不動明王と同じように日本古来から信仰のある仏教の守護神・弁財天を表現したものであると思われます。

池の真ん中で落ち着いた表情をしながら鎮座しています。ここをデートで訪れたカップルも、結ばれること間違いなしでしょうか…

御流罪

そしてこの五色園の中で鑑賞するのがもっとも難しいと思われるのが、親鸞聖人の御流罪というエピソード。

御流罪という看板の案内に従って進んでいきますが、草葉が生い茂っており途中足元が見えなくなるなど大変険しい道になっています。仏への道とはかくも厳しいものなりか…

しばらく歩いていくとようやく御流罪のもとへ到着。コンクリート像が鎮座している場所も草葉が激しく生い茂っています。

法然上人の弟子が官女を尼にした罪により僧位を剥奪され、越後の国へ5年間の流罪となった親鸞聖人ですが、聖人はその逆境をものともせず他力本願の教えを布教して、39歳のときに放免されるという話。

このコンクリート像が流罪中のどの場面を表したものなのかは説明板にはありません。流罪中熱心に教説を説いている場面とも、放免となって弟子たちと相対している場面とも見ることができます。

3体のコンクリート像の中に一体だけボサボサの紙や髭を生やしているものがありました。こちらが流罪中の親鸞聖人なのでしょうか…

川越えの名号

御流罪の険しい道を戻ってきて、次に遭遇したコンクリート像群は、川越の名号というエピソード。

流罪の放免が来るとされる越後国府へと向かう親鸞聖人一行は、夕暮後にこの地の扇屋を訪ねて一晩泊めてくれるように頼みます。最初は聖人一行を邪険に扱い軒下へと追い返した扇屋夫婦も、漏れ聞こえてくる念仏の声に感化されて無礼を詫び、家の中に招き入れて念仏の行者となりました。

やがて扇屋を出発した親鸞聖人一行。扇屋の妻は名残惜しみ親鸞聖人を追いかけ、すでに川の向こうへ渡った親鸞聖人に形見が欲しいと懇願します。それに対し親鸞聖人が空中に6字の名号を書いたところ、扇屋の妻が持っていた紙に「南無阿弥陀仏」の6字が浮かび上がり、歓喜して聖人とお別れしたという話。

流罪後も修行を怠らず、法力により超常現象を起こす親鸞聖人はさすがといったところ。

親鸞聖人と扇屋の妻のコンクリート像は、川越しということでそれぞれ離れた位置に立っています。扇屋の妻はもっと歓喜した表情がよかったかも…

鹿ヶ谷 鈴虫松虫の剃髪得度

川越の名号を見終えて先に進むと見れてきたコンクリート像は、鹿ヶ谷 鈴虫松虫の剃髪得度というエピソード。

鹿ケ谷の草庵において、法然上人の弟子である住蓮と安楽が唱えていた念仏に感化された官女の鈴虫と松虫は、後鳥羽上皇の留守中に発心して尼となってしまいます。これに対し後鳥羽上皇は激怒し、当時法然上人と敵対していた興福寺の訴えを認め、念仏停止を命ずるという話。

親鸞聖人が越後へ流罪になる原因となったものでもあります。

コンクリート像が官女出家のどのシーンを表したものかは説明にありませんでしたが、様子を見る限り出家を申し出る官女の鈴虫と松虫に対し、住蓮と安楽が門前で対する場面でしょうか。官女は無表情ですこし不気味にも思えます。

それに対し、官女の鈴虫と松虫が何者かわからないためか、僧侶姿をしたコンクリート像2体はそれぞれ身構えており、緊張感ある場面となっています。

近くに合掌するコンクリート像や下駄の緒を結ぶコンクリート像もありましたが、こちらは出家後の鈴虫・松虫になるということです。

肉付きの面

鹿ヶ谷 鈴虫松虫の剃髪得度を見終えて北の方の茂みに入ると、立っているのが肉付きの面というエピソード。
室町時代に親鸞の教えを正確に、そして多くの人に伝えたとされる蓮如聖人の話になります。

舞台は越前の国(福井県)。熱心な信者である夫婦が毎晩蓮如聖人のもとへお参りに出かけていました。それに対し、一人取り残されることを好ましく思わない老婆が夫婦のお参りを阻止しようと考え、鬼の面をかぶり待ち伏せしてして、先に来た妻を脅迫します。

しかしその後、鬼の面が顔にピッタリと食い込み取れなくなりました。恐ろしくなった老婆は息子に泣きながら事情を話して蓮如聖人のもとで念仏を唱えたところ、ポロリと鬼の面が取れたということです。しかし、無理矢理引きはがそうとしたためか、その面には顔の肉が一部こびりついていたという話。

鬼の面をつけて妻を脅迫するのは、本当だったら怖いシーンであるはずですが、このコンクリート像からはそのような怖さは感じられず、むしろ滑稽な印象を受けました。特に妻のわざとらしい表情や身構えがそれに拍車をかけているようです。

夜盗耳四郎聞法の場

今までは公園の東側を見てきましたが、今度は西側へ。
まず最初に見たのは、夜盗耳四郎聞法の場という法然上人に関わるエピソード。

大阪で殺人・強盗・放火などありとあらゆる悪事を重ねた耳四郎という大強盗は、ある日京都の白河御殿の縁の下に忍び込みます。

その夜は法然上人の御法話が開かれることになっていましたが、その内容を聞いた耳四郎はありがたい説法に感化され、縁の下から出て上人に救われる道を求め、念仏を唱えるようになりました。

そのような耳四郎を好ましく思わない盗人の仲間は彼の殺害をたくらみ、酒で酔って寝ている彼の上で刀を抜きましたが、耳四郎はいつの間に金色の仏様に変わります。この出来事により仏法の教えの広大さを知った耳四郎と盗人の仲間は、法然上人の弟子に加わることになりましたとさ。

仏の道はどんな悪人にも開かれているというとてもありがたい話。殺そうとしていた相手が金色の仏様に変わってしまうとは法力の偉大さおそるべしですね。盗人の仲間の衝撃は計り知れないでしょう。

そして縁の下で耳を澄ませる耳四郎の姿や、彼を殺そうと恨みに燃えながら仁王立ちで立つ盗人の仲間、そして耳四郎の代わりになる金色の仏様など、どれをとっても大変特徴的で、記憶に残るコンクリート像ばかりです。

箱根権現御饗応

次に見ていくのが、小高い斜面を少し上ったところにある箱根権現御饗応のエピソード。

親鸞聖人62歳のとき、関東から京都へ戻ろうする道中で箱根峠の難所に差し掛かります。老齢ということもあり聖人の疲労はいかばかりであったでしょう、休憩のため近くの社家と思われる家に立ち寄ることになります。

するとその社家から出てきた法衣姿の老翁が、箱根権現のお告げ通り尊敬に値する客人が現れたため、親鸞聖人一行を饗応するという話になり、聖人はそこで3日間しばしの滞在をすることになったという話。

明治以前は神仏習合ということもありましたが、神道の神様の予言にまで出てきてしまう親鸞聖人。また聖人の行動範囲の広さ個人的には驚き。仏法のためとはいえまさか箱根に徒歩で来ていたとは知りませんでした。

板敷山弁円狙撃

次は公園南西側の斜面にたつコンクリート像、板敷山弁円狙撃というなんとも物騒なエピソード。

舞台は常陸国(茨城県)。那珂郡を拠点にして近隣一帯を支配していた弁円という山伏がいましたが、親鸞聖人の登場により自らの活躍の場を奪われつつあったことを妬みます。そこで板敷山で聖人暗殺を企てますが、山のあちこちから聞こえてくる念仏に惑わされ、暗殺に失敗するという話。

親鸞聖人のコンクリート像より斜面をさらに上がっていくと、そこには親鸞聖人を襲おうとする弁円の一段がいました。総勢6人程度といったところでしょうか。

各々が親鸞聖人に対する恨みを表情に表しながら武器を手に持っていて、あるものは体勢を低くして身を隠し、あるものは弓をひいて狙撃の準備をし、またある者は山の中を眺めながら親鸞聖人を探すなどしていて、暗殺に対する本気度をうかがい知ることできます。

狙撃に対する恐怖など見せない落ち着いた親鸞聖人の姿とは対照的に、弁円一同たちの暗殺に燃える姿は、業にとらわれた人間の愚かしさを表しているようにも見えてきます。

弁円悔悟

板敷山弁円狙撃のあとにくるのが、弁円悔悟というエピソード。

板敷山での暗殺に失敗した弁円は親鸞聖人のいる草庵に乗り込みますが、迎えた聖人の微笑に弁円の害心は消滅。弁円は聖人に懺悔し、やがて仏の道に仕えるようになるという話。

あれあれどうしたことでしょう、先ほどまで恨みに燃えていたのとは対照的に、弁円一同は反省した様子で懺悔しています。

自らを殺めようとした相手までも許して仏への道へ導いてしまう親鸞聖人の信心は、さすがというほかありませんね。

六角堂御参籠 雲母坂お通い・六角堂

時は遡って、親鸞聖人若き29歳のときの六角堂御参籠 雲母坂お通いというエピソードと、それにまつわる六角堂

29歳まで比叡山で教学を学んでいた親鸞聖人ですが、既存の教説ではもはや自分が求める回答を得ることができないと考えいました。そこで聖人は100日もの間、毎日欠かさず雲母坂という険しい道を通って遠く離れた六角堂へと通い、如意輪観音に祈願して救いを求めたという話。どんな天候でも休まず続け、血潮で雪を染めることもあったとか。

見てください、自らの抱える問題に真摯に取り組む親鸞聖人の信心深い姿を。このような姿を見たら、自分ももっとがんばらなくてはと日ごろの態度を改めたくなってきませんか?(少なくとも筆者は改めたいと思う。)

少し離れた山の上には親鸞聖人が通ったとされる六角堂まで再現されていました。コンクリートではなく木造で。
経年劣化によりけっこうボロくなっていて、階段など崩壊していました…

日野左衛門門前石枕

だんだん終わりへと近づいてきました。お次はお墓の駐車場に近くにある日野左衛門門前石枕というエピソード。

常陸の国(茨城県)へ流罪となった日野左衛門という金貸しがいましたが、「信じられるものは金しかない」と荒み切っていました。そんな者でありますから、布教途中にあって一夜の宿を乞う親鸞聖人を邪険に扱いますが、吹雪の中でも石の上で身を横たえながら念仏を唱える親鸞聖人に日野左衛門は感化され、仏道を進むことになるという話。

親鸞聖人の吹雪をものともしない静寂な寝顔が印象的。雪まで再現されていたりとかなりの手の入れようであることがわかります。信行両座の走る僧侶とともに、五色園を紹介する際によく用いられる作品となっています。

日吉丸矢作橋出世の糸口

浅野祥雲作品として最後に紹介するのは、日吉丸矢作橋出世の糸口というエピソード。

このエピソードにいたっては親鸞聖人はおろか、仏教とは全く関係のない、豊臣秀吉の幼き日の話です。

話としては、職を転々としていた幼き日の秀吉が三河の矢作橋の上で寝ていたところ、蜂須賀小六正勝の盗賊一団が通りかかり秀吉の頭に蹴りが入りました。これに激怒した秀吉は小六の槍につかみかかり、無礼を詫びよと凄みます。この子供らしからぬ態度に感心した小六は秀吉に謝り、その度胸を買って秀吉を雇うことに。ここから秀吉の出世譚が始まります。

なぜ仏教と関係のない作品があるかは不明です。またこれに関しては近くに作品の説明板もなく、家に帰って調べなければ何の話かさえわかりませんでした…

手に手に武器を持ち、鎧兜を着て武装したこれらの勇ましい盗賊たちは、どちらかというと、同じ浅野祥雲作品にして武士の合戦を再現した関ケ原ウォーランドに近いものがあると思います。

本当に五色園は広くて作品もたくさんあるから、疲れて一度で見てまわれなかったわ。またリベンジしなくてはのう…

その他

ここまで紹介してきたコンクリート像以外にも、五色園にはいくつかもの施設があります。ここではその中の一部を見ていくことにしましょう!

本堂

コンクリート像ばかりに着目して忘れてしまいそうなのがお寺の本堂。すでに説明したように五色園はシュールなコンクリート像がおいてある宗教公園以前に、五色山大安寺というれっきとしたお寺が立っているのです。

日野左衛門門前石枕の近くには石段の参詣道があり、それを上ると本堂が見えてきて、かなり立派な造りとなっています。コンクリート像を見学するだけでなく、お参りもしていきましょう!

創始者像

また五色園の創始者・森夢幻の像もあり、こちらも浅野祥雲によるものということです。

休憩所

川越の名号の近くにある五色園休憩所。しかし残念ながら周りはしっかりと閉ざされており、休憩することはできないようです。

看板も薄れていて老朽化もかなり進んでいる様子。かつてはどのように利用されていたのか、また現在中はどのようになっているのか、大変気になるところです。

遊具

そして公園遊具。休憩所と同じくけっこう老朽化が進んでいるため、実際に遊ばれることはないだろうと思いきや、筆者が行ったときは実際に遊んでいる子供がいました。けっこう珍しそうなものもあるため、遊具マニアの方は楽しめるかもしれませんね。

これら以外にも、五色園には研修道場や宿坊もあり、実際に宿泊することもできるようです。

またみだりに見るものではありませんが、お寺ということで墓地もあり、実際にお墓参りしている人もいました。
むしろ、コンクリート像ではなくお墓参りを目的として訪問している人が多かった印象です。

CHECK

五色園には有名なコンクリート像以外にも、お寺の本堂などの施設がある。

本当に見どころありすぎね。1日で見てまわれるか心配だわ…

まとめ

五色園の研修道場近くにある作品。位置的にマップにも記載されている五劫思惟仏か。

今回紹介した五色園は、珍スポットとしては有名すぎるところで、浅野祥雲ファンや珍スポファンなど酔狂な方には必見の場所となります!

浅野祥雲の3大聖地というだけあって、この記事で紹介してきたように仏教関連のコンクリート像の作品はどれも見ごたえのあるものばかり。行って決して損はしない(はず)!

また注意したいのは、広大な土地にたくさんの作品が散らばっていてすべて見てまわるのは大変であるため、体力や時間を確保できるときに行くべきです。(筆者は一度ですべて見ることができず、2回も行きました汗)

たくさんのコンクリート像が立ち並ぶ仏教公園から感じるロマン、興味がある方はぜひ五色園へ!

まとめ
  • 仏教をモチーフとした五色園は浅野祥雲三大聖地にして日本唯一の宗教公園。
  • 浅野祥雲や珍スポファンには有名で、仏教をモチーフにしたコンクリート像は見ごたえあるものばかり。
  • お寺の本堂などコンクリート像以外の施設もいくつかある。
  • 広大な土地にたくさんの作品が散らばっているため、時間や体力が確保できるときに行くべき!

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